2014/12/02

カールリスとダイナ(2013. vasarā)

ラトビア滞在2度目となった2013年に、私たちのホストになってくれたのは、若いカップル、カールリスとダイナ。

ジントラ、アルマンズの甥っ子カップルです。

ラトビアへ初めて訪れた2012年の一軒家と変わって、今度はアパート3階での生活。
子どもの居ないカップルとの日々はフットワークも軽く、より気軽な滞在となりました。

アパートは3LDK。一室はゲストルームになっています。私たちはそこにソファベッドを広げてもらい、自分の家のように、自由に過ごさせてもらいました。

主な部屋以外に、部屋と窓との間に”屋根のあるベランダ”のような場所があります。
そこに普段使わない大きなものを置いたり、洗濯物を干したりします。

ドアが二重だったり、いつもMTVをつけていたり、あれこれ新鮮なのに、同時に、とても馴染みやすい生活でした。

集合住宅なので、夜中に上の階から大音量の音楽とパーティの声が聞こえることも。次の朝に”うるさかったよね〜!”と話し合うのも愉しい思い出。
夏ならではの出来事のようです。

のんびりムードの休日の朝。
銀行で弁護士として働くダイナ。
カールリスに毎朝、車で送ってもらってリガ中心部へ出勤します。
カールリス。アオにとっては本当のお兄さんのよう。
いつもおしゃれで、とにかく仲の良い二人。
会社でダイナをひろってKalnciema Ielaへ向かうところ。まだまだ明るい19時頃。
平日の夕方は、みんなでダイナを会社へ迎えに行って、それから海や食事へ向かいます。
歌と踊りの祭典で盛り上がる2013年夏の旧市街。
いつでもどこでもカールリスと一緒。
抜群に波長の合う3人。昔から一緒の家族のようです。


2014/11/27

二人で小旅行(2012. vasarā)

2012年夏。私たち初めてのラトビア旅行中。
カールリスの運転で、アオと私だけで3泊の小旅行に出かけることに。
場所はルオヤ(Roja)。家があり首都であるリガ(Riga)から200kmほど離れた海の街のようです。初めてのラトビアで全く距離感もなく、到着してみて初めて分かる、いつでもそんな日々でした。

途中でカールリスがどこかへ立ち寄ります。一緒に着いて行くとそこは魚の薫製工場。私とアオが夜にお腹がすいても食べられるようにと、サーモンとサバのような魚の薫製を大量に買ってくれました。自分たちのお土産に買っているとばかり思っていたので、ホテルで餞別代わり?に突然生々しい魚を大量に渡されて、もちろん嬉しいのだけど、ちょっと戸惑ったことを覚えています。結局食べきれなかったなぁ〜♪
薫製屋さんで大量のサーモンと白身魚を購入してくれるカールリス。すごく美味しかったけどアオはまだ小さく食べられないので、私一人でがんばる結果に。
途中で海に寄って記念撮影しながらのドライブ。
全く全貌が掴めず、後でいろいろ分かるのも初めての旅の愉しさ。 
無事に宿に到着。三人でまずは食事。かなり田舎なのに美しく美味しいお料理に感激。
ラトビアはどこへ行っても料理が洗練されていて、はずれたことはない。
ここでアオが覚えたラトビアの味が「ソリャンカス・ズッパ」。濃いめのトマト味で、たくさんの野菜やお肉が煮込んであります。この日以来ほぼ毎日このスープをアオは食べ続けました。
黒パンの食べられないアオは、このスープで生きていたようなもの♪
とにかく海へ! 海しかない! そんなホテル。
ここではいくら花を摘んでも大丈夫!6歳の今でもこのときの話を良くしてくれます♪
東京では畳に布団のアオ♪ 毎晩ソファを移動して落下防止。
お気に入りのソリャンカス・ズッパ。ラトヴィアのお味噌汁。美味しく食べられるものがあって良かった!
ラトビアの施設には子ども用の遊具があちこちに。
子連れには本当にありがたいです。
「あおちゃんゆうひをみにいってみようか♪」と肌寒くなった海辺へ。夜23時過ぎ。

Jūra, Jūra, Jūra !(2012. vasarā)

ラトビアの家族は、着いた翌日から毎日!車でどこかへ連れて行ってくれました。ときには数百キロ飛ばして突然お城に着いたりして毎日の全てが初めての連続でした。

我が家は車を持っていないのでアオは全く車に慣れておらず、でもまだ幼く、酔うということも知らず、用意してもらったチャイルドシートで気ままに昼寝したり、おやつを食べたり、おしゃべりしたりして数時間のドライブを過ごしました。いつ目的地に着くか全く予想出来ないので、母はいつお腹が空いても良いようカバンに軽いスナックを用意するようになりました。

そんな日々で特に驚いたのがラトビア人の、海との付き合い方!

「アヤ〜アオ〜ビーチに行くよ〜!」と声をかけられたのは20時過ぎ!東京では20時に布団へ入るアオです。「いまから!?」と驚きながらも、そこはホームステイ。すぐ水着とタオルを用意して車に乗り込みます。

数日後、これが夏の当たり前の過ごし方であることが段々分かって来ました。

最も感動したのはその気軽さです。
海に行って、簡単な壁の中でササっと着替えて、太陽を浴びて、海水を浴びて、太陽を浴びて、着替えて帰って来ます。日本で自分たちが行く海水浴の大仰さが全くありません。

海水もべたつくことがないのか、泳いだ後もすぐに洋服が着られます。シャワーを浴びないで寝ちゃっても気にならないほど。

ドライブの途中で良いビーチを見つけたらすぐに立ち寄り、着替えて、遊んで、またドライブです。

慣れて来た頃から、必ず水着を車のトランクに入れるようになりました。

アオはまだ恥ずかしいという感情がほぼなかったので、積極的に裸で海へ飛び込みます。羨ましい!
この「生(なま)」の自然がラトビアの最大の魅力のひとつ。
砂の感触を身体に染み込ませるかのように愉しむアオ。アオのそばにはいつもカールリスが居てくれます。
カールリスが買って来てくれたkārumsのチーズお菓子とアイスクリーム。あまりの美味しさと種類の多さに母はラトビアの乳製品にどんどんはまって行きました。美味しくて危険!saulkrastiにて。
ある日、ジントラがアオに砂遊びセットを買ってくれました。いつも車へそれを載せて。アオが帰国したあと、家に残った砂遊びセットを見て、ジントラはとても悲しかったと翌年話してくれました。
ユールマラ(Jūrmala) にてジントラと。19時ぐらいでしょうか。
これも別の日のユールマラ(Jūrmala) 。この日は朝から天気が良いので海へ。
日焼け止めクリームを塗るのがばかばかしく、むしろかっこわるいな、と思って来た頃♪
アルマンズに抱っこしてもらって安心して眠るアオ。このお天気で夜10時過ぎ!
昼寝から目覚めアイスクリームを買ってもらいご満悦。こうしていつでも誰かがカメラで記録してくれました。

滞在中の喜びと言えば、夜中までしっかり一緒に遊んで、朝までゆっくり二人で朝寝坊するのも母には新鮮で特別な体験でした。移動中の車でも寝るし、本当に眠たかったら寝るだろう、どうせ時差ぼけだし・・・と緩く考えられるたのも旅行の良さ。
早く!早く!と急かされない日々は、アオも気楽だったに違いありません。

2014/11/13

ラトビアのパパとママ ジントラとアルマンズ (2012. vasarā)

2012年夏、ラトビアを初めて訪れた私たち母子を暖かく家族として迎えてくれたのは、お母さんのDzintra(ジントラ)とお父さんのArmands(アルマンズ)。
ジントラはグルジアとのワイン会社や旅行代理店の会社を経営しています。お父さんのアルマンズは経営コンサルタントの会社を経営。
華麗にベンツを乗りこなし、大きなお家と緑の芝の広い庭、優雅な家具や食器、素敵な猫たち、それでいてとてもフレンドリーで暖かい。初めて出逢ったとは思えないほどすぐに馴染み、私もアオもジントラとアルマンズとこのお家が大好きになりました。

ジントラはいつも美しく優雅。明るくかわいい。
三人の男の子を育て上げたとは思えない美しさ!お孫さんもいます。
すらりと長い健康的な足を魅せる白いミニスカートが良く似合います。大胆なファッションを積極的に愉しむラトビア女性。私にとって初めてのラトビア女性はジントラでした。
車を降りるとき、ルームミラーで真っ赤な口紅を塗り直す姿のかっこいいこと!そのときアオの唇にも少しだけ色をのせてくれます。
女がただ素直に女で居られる、ラトビアのそんな空気を教えてくれたのもジントラでした。

リガの旧市街にて、お母さんのジントラ。お孫さんがいるとは想えません!
リガ旧市街の広場。光と街並の美しさに感動しっぱなしだった初めての滞在。
ラトビア人の美意識、感受性の高さには驚きっぱなしでした!
レストランLidoでは片時もそばを離れずいつも美味しい物を教えてくれたアルマンズ父さん。
実は私と大して歳が変わらない。






2014/11/10

ラトビアの家族(2012. vasarā)

私たち母子を暖かく迎えてくれたのは、ラトビアの家族たち。

お母さんのDzintra(ジントラ)、お父さんのArmands(アルマンズ)、3人の息子(上の二人は既婚。三人目だけ同居中)、親戚のお兄さんKārlis(カールリス)、そしてその婚約者のDaina(ダイナ)でした。
初めて訪れた2012年は、DzintraとArmandsのお宅でホームステイさせていただきました。


カールリスとダイナは車で3分ほどのアパートで暮らしていて、私たちがお世話になっているジントラとアルマンズの家へ日参しては、愛車のBMWでラトビア中に連れて行ってくれました。

このときもあえて、アオ用の日本食は用意せず、現地のものでお世話になりました。

左からカールリス、右はアルマンズ。カールリスはBMW、アルマンズはベンツが大好き。
この写真は到着日、日本時間の朝5時ぐらい!
アオは初日からとても馴染んで眠たがらなかったので、数日で時差を調整することが出来ました。
右がいつも最高に美しいジントラ。毎日のように連れてってもらったレストランLidoにて。
左からダイナとカールリス。アオは最初から二人が大好きでした。
私たちのために毎朝すてきな朝ご飯を用意してくれました。
でもほとんど手を出さないアオ。卵の黄身を舐めてたぐらいだったかなぁ?
母がラトビアのたくさんの乳製品の味を知ったのもこの頃。外での食事の愉しみも教わりました。
ミッキーとベントレーというオリエンタルという種類のネコ二匹も同居。アオの恰好の遊び相手に。

そしてラトビアへ(2012. vasarā)

2012年夏が、私たち母子は初めてラトビアを訪れました。

お父さんはロシア武術の勉強でトロントだし、娘と濃密に過ごせるのも未就学の今しかないような気がして何となくヨーロッパへ出かけてみようとあれこれ調べ始めたころ、共にロシア武術を習っているラトビア人の友人エドガルスが「ラトビアの自然は子どもにとても良いよ〜」と勧めてくれたのが全ての始まり。

こんなに夢中になるとは想わず、ご縁と勢いだけで出かけることにしました。

アオ初渡航モスクワから2年後の夏、お土産をたくさん用意して、母子二人でラトビアへ旅立ちました。今回はヘルシンキ経由のフィンエアー。機内でいただける子ども用おもちゃも、なんとなく洗練されています。

1歳のときと違い、席のモニターでも積極的に遊び、全く心配なくヘルシンキへ到着。
父も心配で成田空港まで送ってくれました。
意外にもガツガツ食べて母を驚かせた。

機内では積極的に音楽や映画を愉しみ、配って頂いたドリルも挑戦していました。

無事にヘルシンキへ到着。光が違います。
ヘルシンキからリガへはプロペラ機で美しいバルトの島々の上を渡ります。


1歳のモスクワ


アオの初渡航は、ロシア、モスクワでした。

私たち夫婦は、システマというロシア武術を習っているため、モスクワは心のふるさとのひとつ。三つ子の魂百までを信じる夫は、娘のアオが2歳になる直前の2010年秋、1歳9ヶ月の頃、家族三人でモスクワへ行くことにしました。

まずはパスポート用の写真を撮ることから一苦労。赤ちゃんのため、じっとして写真を撮られることが出来ないので、ここ数ヶ月の写真の中から顔が正面を向いているものをやっと探し出し、母がphotoshopで背景を加工し何とか仕上げました。そしてロシア大使館でビザの取得へ。こちらは手慣れている父が取って来てくれました。

モスクワでは、セミナーハウスのような体育館の付いたホテルで一週間合宿して過ごし、アオは食堂で出てきた茹でただけのマカロニと、脱脂粉乳のような謎の白い飲み物で、一週間を機嫌良く過ごしました。
この頃はジュースもまだ飲んでないし、お菓子もほとんど食べてないし、飴も舐めてなかったな・・・今よりずっとシンプルな食生活でした。念のため持参したアルファ米も結局使わず、現地のもので全て済ませました。

東京←→モスクワ間は直行便で。
チケットのない1歳児に、アエロフロートが最高の家族席を用意して下さいました。
体育館の端っこでお昼寝♪ その間だけ母は練習することができた。
モスクワの友人が用意してくれていたロシアのおもちゃや、お菓子。
色味のない食事が好み。シンプルで何の問題もなかった。
薄着すぎる!とすれ違うバーブシュカに、いつも注意されたっけ。現地の子どもたちはスキー場のような格好をさせられていて、厚着させすぎだよ〜〜といつも心の中で想ってた。
すぐに遊べるようにと東京から持参したお豆腐の空容器で砂遊び。

行きの飛行機では、絵本をたくさんと、お絵描き道具、粘土!まで用意して、10時間強のフライトに備えました。飛行機の床に転がらせてベビーマッサージをしていたらCAの方に心配されたり。

小さかったせいか、時差も特に気にならず、寝るときに寝かせて、起きるときは起きていたような。気も使うけど、逆に今より楽だったこともたくさんあったように想います。

この旅の目的は「アオをシステマの創設者に逢わせる」ことだったので、私も練習を諦めて、外に連れだして遊んだり、ゆっくり食事したり、ずっと娘に付き合いました。
ロシアの武術、システマの創始者、ミカエル・リャブコと。